耳鳴りの






 夜桜がひらひらと花びらをこぼすのを、縁側でひとり眺めていた。宴の席からかすめてきたからい酒をとっくりから小盃に注いで溜め、ひとくち舐める。ほんのりと冷たい夜気が酔った身に心地よい。春もそろそろ終わりだろう、と思うとなんともいえずさみしかった。部屋の中での喧騒が遠のいて、ふわふわした気持ちになる。ちびりちびりと酒を呑む。愛染、と呼びかけられたのは、そうして喉を焼く旨みに息をついたときのことだった。
 顔を向けると、団子の積まれた皿を持った前田藤四郎が、すぐそばに立っていた。彼はにこりと微笑み、皿を掲げる。
「お、光忠の団子か!」
「よろしければ一緒にいただきましょう。皆さんすぐ食べてしまいますから、貴重ですよ」
「ははっ。んじゃ、ありがたく」
 片手で謝意を示すと、彼は自分と愛染との間に皿を置き、実に優雅な仕草で縁側に腰掛けた。こいつは本当に貴族らしいやつだよなあとしみじみ思う。そういうことを言うと、きっと彼は困ってしまうのだろうから口にはしないけれど。代わりに、愛染は白くもっちりとした団子に遠慮なく手をつけた。んまい、と頬を緩ませる。それから、前田に目を向ける。
「兄弟たちといなくていいのか?」
「おや、団子を食べたら用済みですか?」
「そんなこと言ってないだろー!兄弟以外にはなにげ辛辣だよなあ」
「昔馴染みだからですよ。兄弟には……優しい兄、よい弟でありたいのです」
 静かに、何か、満ち足りた何かを大切に抱きしめるような、そういう横顔だった。愛染はなんだか嬉しくなった。
「そっか」
 それは、わかるなあ、と少し思った。
 幸せというのは餅よりも美味い。だからきっと、こぼれるのがおそろしくなるほど、満ち足りるのだろう。
「兄弟、やっと揃ったんだもんな」
 よかったな、と言祝ぐと、はい、とはにかむように笑った。いい顔をしていた。前田邸にいた頃には、見ない表情だった。
「ならなおさら、あっちにいった方がいいんじゃねーの?」
「いえ、まあ……いつでも話せますから。それにそろそろ鯰尾がやらかす頃合いなので」
 逃げてきた、ということか。
「なるほどー」
 はて、しかし彼は、いつもは進んで世話を焼いていたはずだが。窺い見るも、真意は読めなかった。前田藤四郎は舞い散る桜に目を細めた。
「私は……」
「ん?」
「主君に、感謝しています」
 愛染は瞬き、微苦笑を浮かべた。それほど兄弟たちと会えたことが嬉しかったのか。粟田口は根深いな、と少々の呆れと、ある種の羨望をもって微笑ましく感じる。
「俺たちは道具だから、なんだかんだばらばらに人の手へ渡るんだよな。だから、兄弟たちと一緒になることは意外と多くない。まあ俺はずっとあっちいったりこっちいったり転々としてて慣れちまったから、淋しいとかあんまりないけど」
「そういえば、あなたは前田家にきたあとも、いつの間にかいなくなっていましたね」
「いやいつの間にかじゃねえって。ふつうに移されたの。それに、前田家にはけっこういた方だ」
 そう、よく覚えている。
 きれいな女性と、ふやふやした子ども。それが新しい主だった。どちらも壊れやすそうだったから、俺が守ってやらなきゃと思った。愛染明王の加護が強すぎたのか、子どもはいささか腕白というか、無茶をするように育ってしまったが。
 瞬きひとつで、思い浮かぶ。
 ちいさな犬千代。血に死すことも自刃することもなく生き抜いた子ども。
「人は、生きるのがいいよな、やっぱり」
 まあ、自分たちは刃物なのだけど。前田は視線を落とし、そうですね、といちど穏やかに頷いた。そしていつも通り、きりっと生真面目な顔を作る。
「私たちは短刀。どこまでも主君の供をして、守る身であらねば」
 やはり、真面目だ。もちろん否やはないが。
 愛染国俊は実は少し願っている。今度こそ、主のもとに留まりたいと。色んなところを渡り歩くのも悪くはないけれど、なまくらになるまでひとりの主に使われたい。なんせ人の身体を得てしまったわけで、おままごとだとしても、帰る場所、がほしくなる。他の刀ともずいぶん馴染んでしまった。こんな風に桜を見て、酒を呑んで、昔の知り合いと話をして。なんと面妖なことなのだ、こうして大切なものが増えていく。それに――
「蛍……」
「え?」
 ふとこぼれた言葉に、前田が首を傾げる。愛染ははたと我に返り、いやいやと笑った。
「もうすぐ、春も終わるよなあ、と思ってさ」
「……ああ、そうですね」
「そしたらこの庭にも、蛍が飛ぶんだろうなあ」
「……」
 なぜか前田藤四郎は返事をするのに数秒を要したようだった。ん? とその顔を覗き込むと、ようやく、そうですね、と返した。優しくて、何かをこらえる笑みだったけど、愛染にはよく分からなかった。首をひねってから、しかし追求しても答えないだろうということは分かっていたので、気にせず団子を食べた。中では宴もたけなわのようで、もう酔いつぶれたのか次郎太刀の陽気な声は絶え、安定の物騒な怒声や一期一振の弟たちを叱る声、沈み込む山姥切をしきりと構う山伏たちの声が、やわらかな潮騒のように聞こえた。あんなにうるさいのに、ほんの少し離れるだけで、遠くのことのようにぼんやりしてしまう。群雲が風になぶられ、朧月が覗いた。はらはらと散りゆく桜が雪のようだ。何かが死んでいくような光景だった。けれど幸福の象徴のようでもあった。春の夜空は星もやわくどこか優しい。追いやられた雲がゆるゆるとたなびいている。愛染国俊は口端を緩め、そっと目を閉じた。
 明日も、彼らとともに戦い、ここへ帰る。明日も、明後日も、明々後日も。
 暗闇を生む瞼の奥で、あわく若葉の色に灯るひかりがちらついた。
 愛染国俊は人の身を得た。もうどこかに渡ることはない。
 だから、今度こそ果てなく待っている。







 いつもの騒がしさは鳴りを潜め、ぼんやりと小盃を傾ける旧友の、ほとりとこぼれおちた言葉が静かに胸を圧した。
 ――そうか。
 と、前田藤四郎は胸の内でつぶやいた。
 しばし、愛染国俊の横顔を息を止めて見つめた。
 幼く、未成熟で、遊び盛りの子どもの如き姿を得た刀は、しかし年経た神の顔をしていた。長い長い時間を過ごしてきて、深い願いを心の奥に閉じ込める術を身につけたものの表情だった。
 彼は、自分たち粟田口や国広、次郎太刀と違い、ふだんあまり兄弟の話をしない。さほど気にしていないのだと思っていた。事実、再開を熱望しているのとは違うのだろう。けれど彼の胸には、他者が思っている以上に強く、兄弟というものへの情が根づいている。ひとり縁側に座って桜を見て、夏の蛍を想うほどに。
 それは、なんてさみしい執心だろう。
 冷ややかな光で身を焦がす蛍は、しかし声を出して哭くことはない。愛染の赤い髪が冷気を孕んだ春風に揺れる。月明かりに照らされた顔は青白く、ふと目を逸らせば闇に溶けてしまうような気がした。
 それでもなお、前田藤四郎には愛染国俊にかけられる言葉がなかった。ただじっと、隣に座して桜を見るふりをした。
 どこかで、夏の虫が哭く。


(それでも、ここはあなたの家だ)







>>>蛍丸きません<<<
果てなく(さにわが)待っている(むしろ探してる)。

補遺:
 愛染は徳川家光の、前田家に嫁いだ義理の娘阿智子姫(大姫)がその息子前田綱紀を連れて登城した際に譲られた、とのこと。綱紀が何歳頃かは謎。綱紀は1643年頃生まれ、家光は1651頃に逝去したらしいので、その間か。
 前田藤四郎は前田利常に献上されて以後前田家に伝わるとある。綱紀は利常の孫にあたる(父方)。前田家といっても実際利常のもとに有り続けたのか分からなかったのでまあなんというかこの話ではそうです! 時代かぶってます!ということにしたい。同僚していたかもしれない。たぶん。きっと。おそらく。たぶん!!
(某ぷらいべったーさんで乗っけていたのを再掲しています)

おまけ