!! attention !! ボクセキコミックス11巻までの激しいネタバレを含みます。


















 中学の頃、よくそのひとの夢を見た。
 かけがえのないひとだった。


 




case : 1 はるか遠く、知り得ぬいを






 そのひとは怒っていることが多く、よく小言を言い、彼を嗜め、自分たちの兄を睨んでいた。あるときの、下の兄が去ったあとの部屋に満ちた沈黙を覚えている。グレン、とそのひとは憤りのこもった声で彼を呼んだ。あのひとの言うことは気にするなよ、と。大丈夫だと笑えば、そのひとは呆れたようにおまえはもっと怒っていいと怒った。そのひとが怒ってくれるので、自分は大丈夫だったのだけど、しかしそれにしてもよく腹を立てているひとだった。おぼろな夢の中で、そのひとの声と、そのひとに与えられたぬくもりばかりが、ぷかぷかと浮かび上がる恐ろしい記憶を優しく癒した。目覚めると、少し泣きそうになった。夢の中で誰よりも近しかったひとは、けれど今は傍どころか存在もしなかった。会いたい、と思った。会えないなら、どうか、せめて。心が彼のものに侵食され、同調し、喪失を嘆いた。早い朝の空気は冷たく、そのひとの目のように清々しくて、ひとを傷つけない正しさを感じさせた。バルト。たいせつなきょうだい。あたしの、あたしではないあたしの弟。紛れもなくいとけない少女の手で顔を覆い、少女ではなかった頃に息を詰まらせる。どうか。よるべない祈りが胸を締める。ああ、バルト。
 どうか、あなたの死がやすらかなものであるのなら。


















case : 2 心臓のが冷えるのはいつ





 みどりの草むらが風になびき、ついで彼女の長い髪もふわりと煽られた。金色が祝福のようだった。無邪気で遠慮のない笑顔を、うつくしいと思った。まぶしさに目を細めて、それから同じように笑った。一緒に笑えることが幸せだった。
 これが、そう、だと、まだ、彼は気づいていなかった。
 でも、今なら分かる。簡単に分かる。自覚したあとの記憶などなくても、自分は理解できてしまった。感情の記憶というのは厄介で、かといって、今、かのひとを好きなのかと問われれば違うと答えられはするけれど。それでも、彼女の夢を見るとやわらかで痛烈な想いが胸を刺した。それでいっぱいになった。甘くてかなしくて優しい夢だった。ひとを、好きだと思える夢は、居心地が良かった。あたたかい気持ちに満ちるのが嬉しくてやるせなかった。同時に、過去の自分に何かしらの共感を抱く。ふしぎな気持ちだった。
 でも、これを抱えて生きていくのか。彼に引っ張られたままの、でもどうしようもなく強い想いを。
 しんどいなあ、と少しへこむ。だって、自分だって恋とかしたい。できれば楽しくてポジティブに夢中になれるような、そういう感じで。いるわけもないひとを、無意識に探して我に返るような気持ちは、彼のもので十分だった。
 十分だった、のに。
 早朝の通学路、道のずっと先で新しいクラスメイトが欠伸をしている。そのひとの傍に誰かが駆け寄る。そうすると、そのひとは緩むような笑みを浮かべる。無邪気で穏やかで、どこか人を安心させる笑顔だった。数日前に彼がしていた、たまたま聞こえた会話が甦る。お姫様の生まれ変わり。戦争で死んだ。それは、それはどこなの。あなたは誰なの。あたしと同じ死因なの。こみ上げる疑問に必死で蓋をして、きゅっと唇を噛み締める。そんなわけがない。そんな都合の良いことなど起こるものか。震えそうになる目許をしっかりと保って、明るい笑みで顔中を飾る。大きく腕を上げて、後ろから彼を呼ぶ。
「皆見! おはよー」
「おはよ、広木」
 振り向いたそのひとが、自分を見つけて微笑んだ。その表情に、心臓がそっと幸福に軋む。いいや、違う。だいじょうぶ。
 これは、恋、なんかじゃない。







そうではないかときっと大半の読者に思わせつつ、やはりそうだった彼女の話です。11巻泣いた。