静寂との、






 今夜は月がない。
 新たに持ってこさせた葡萄酒を開け、無造作に器に注ぐ。明かりは角灯がひとつ。蝋は火の熱にあぶられ、ゆっくりと溶けている。静まり返った夜は、昼間の喧噪が嘘のように落ち着いたものだった。彼は首元をくつろげて、無言で杯を呷る。無骨な四角い窓の向こうの闇をなんとはなしに見つめていると、快い酩酊が襲ってくる。ひとりとは良いものだ、と彼はさらに酒を進めた。しかしその瞬間、袖口からこぼれた香りに眉をひそめる。考えるまでもなく移り香である。きつすぎない花に似た匂いのもとについて、忌々しいことだが充分な心当たりがある。舌打ちを酒とともに呑み込んだ。そこにいるだけで騒がしい、王女とも思えぬ奇行の多い女だ。言うことは何もかもが甘ったれた理想ばかり、騎士見習いたちと憚ることなくじゃれ合い、意味もなく彼を散歩に誘ったりする。己の身に過ぎた望みを求め、彼の隣に躊躇うことなく立っては苛立ちを煽ってくれる。腹立たしい。実に腹立たしい女だ。微かにくゆる花の香りが煩わしい。もっと愚かであったのなら、と彼は不機嫌な顔のまま思う。あの女が、当初の印象通り、花の咲いた愚かな王女であったのなら、これほどまでに不愉快に感じずに済んだのだろう。不運なことだ。おのれにとっても、彼女にとっても。
 けれど、同時に酔いの回った身の遥か腹の底、この不満に反駁する声がある。

 そう――――けれどもし、あの女が望んだ通りの愚物であったのなら、予想と寸分違わぬつまらぬ日々を送っていたことだろう、と。

 そのようなことを思うおのれを、しかし彼は認めない。乏しい灯りの下で泥のように黒く凝って見える酒を揺らしながら、彼は無意識の内に自分の思考をねじ伏せた。








某殿下の独白。8、9巻で彼が愛おしくて仕方ない。