君に祝ぎ










 ふと、鳥の声に眼を醒ます。

 微睡みから、ぼんやりと起きて朝霧の中を歩く。長兄ルースに早く戻ってくるようにという含みを持った命令でさっさと王宮に戻らなければないないのだが、帰れば帰ったでまた面倒な仕事が待っているのだろう。ならばこうしてのんびり道草をくいながらなるべく、落ち着いて仕事も少なくなった頃に帰りたい。面倒はさけて通るべし、である。赤い髪を揺らしながら、供もつけずに彼は気ままに散歩していた。昼にでも戻れば問題ないだろう。そう思いながら、霧の中に畑のようなものを見つけて足を止めた。
 露に濡れた葉の中に、熟れたトマトが実っている。丁度いい頃合いだ。彼はのんびりとした動作でその実をもぎ取った。柔らかな赤い実は如何にも美味しそうな様で水を弾いている。
 ふむ、とマントの裾を揺らして、トマトを口に運ぶ。そのままかぶりつこうとして、
「アスフォデル兄様?」
 ぱちりと瞬きした。
 眠た気な目尻が微かにつり上がる。
「……フェンベルク」
 末の妹が――まさかもう逢うことはないだろうと思っていた、銀の髪の末姫が、表情の少ない面差しで立っていた。
 ローブの裾が揺れ、朝霧に染められている。目深に被ったフードを払い、彼女は首を傾げながら躊躇なく歩み寄ってきた。
「何故」
 ここに、と続くのだろう言葉を眼で制す。
「これから王宮に戻るんでな」
「……そう、なのですか」
 やはり、表情は読めない。
 だが、透徹とした眼差しは、深く驚くほど直ぐだ。あの砦で勁く言った時と同様に。
「……そう。生きていたか」
「はい」
 ふむ、と彼は顎を覆った。ちらりともう片手に持つトマトを見やる。
「フェンベルク、君はまた旅に?」
「――はい。世界を知るために」
 ふぅん、と呟く。彼がまた、と言ったのは、少々の揶揄いを込めたものだったのだが、あまり通じてなかったらしい。まぁ別にいいが。
 微風に揺れる銀色をとっくりと眺めて、一瞬寝そうになってから、ふと気付く。
「……では、君にこれをあげよう」
「は?」
「そこでとったトマトだ。多分美味しいんじゃないか」
 本当は自分で食べようと思っていたのだが、まぁいい。この妹への餞別としてはそれなりだろう。彼にとってはそんなに興味のあることではないが、それなりに感謝すべきことをしたのであろう妹には。
 そう、妹だ。
「じゃあ。また遭ったら」
「……はい。ありがとう、ございます。アスフォデル兄様」
「うん」
 戸惑ったように頭を下げる彼女へと適当に手を振って、彼はさっさと彼女を追い越していく。さくさくと微妙に濡れた道を歩きながら、思う。
 面倒なことではあったが。
 彼女のあの眼差しと銀の髪は、嫌いではなかった。先ほど気づいたのはそれだった。なんとなく彼女を思い出したりしたことがあったような気もするが、それもこのためだったのだろう。別に彼は情がないわけはないのだ。片方しか繋がっていない血でも、妹は妹。さらに言えば兄も兄。
「さすがに、もう少し進度を早めるかな」
 ルースもギルフォードも、仕事の多さに忙殺されていることだろう。そう考えての呟きだったが、やはり面倒だなと思い直す。あれらは優秀なのだから、まだゆっくりしていても大丈夫だろう。
 それよりも。
 首だけで、うっすらと後ろを振り返る。彼よりは速く歩きつつ、後ろ姿の少女はトマトをかじっているようだった。
 ふ、とアスフォデルは口元だけで微笑んだ。表情筋を動かすのにすらやる気がなさそうな笑み。
「……フェンベルク。またいつか」
 遭えるといい、と彼は朝霧の中で囁いた。