の魔法使い






 ボクは今、たいそう腹を立てている。うるさい奴隷を振り切ったはいいけど、今日は冷え込みが激しくて、ガーデンスペースには寒さをしのぐ場所もない。まったく、奴隷ときたら肝心のときに役に立たない! ボクが何も言わずとも、ボクが求める前にボクの満足のいく働きをしなくちゃいけないのに! でもボクは寛容な主人だから、あいつをクビにせずにそばにおいてやっているんだ。それに、ボクの用の邪魔されたら嫌だからね!
 両手をあつめ、口元に寄せて息を吐く。はあ。ほんのすこし暖かさが増す。これは以前、庶民に教わった魔法だ。でも、足りない。だってそのときそいつは、ボクの両手をそいつ自身のあったかい手で掴んで、息を吐きかけたんだ。今は、ボクひとり。あの子の手が足りない。むう、とボクは唇を尖らせる。ボクが困ってるのに、どうして飛んでこないんだろう。腹立たしい。ぷんぷんだ。
 白木のテーブルを探し、ちょこんと腰掛けた。ボクは自分でも可愛くない顔をしながら、そのへんをちろちろと見回す。そしてふいに、心臓がぱあっと高鳴るのがわかった。
 いた!
 ボクの新しい奴隷。庶民の女。アイドルじゃない、プロデューサーのそいつは、ほそい手足をいっぱいに動かして、ちょこまかと忙しく働いている。最近はいつもそうだ。学校中を駆けずり回って、ときどきフラフラしているほど。そういうところに、ボクはまたちょっと腹を立てる。だってなかなかボクのところまでやってこないから。きたとしても、ちょっとで去っていく。ボクの奴隷なのに。でも、頑張ってるあいつを応援してやるのも良い主人だと思うから、ボクはけっこう、我慢している。これが弓弦だったらどんなときでも文句を言ってボクを最優先させるものなのだから、あいつはもっとボクに感謝して崇め奉るべきだと思う。
 ボクは働く奴隷を、じーっと眺める。頬杖をついて、ときどき白い息を吐きながら。どうしてだろう。ボクのお気に入りに、ボク以外を優先させていることに、ボクはとっくの昔に自覚している。それってもしかしたら、今までぜんぜんなかったことだ。でもどうしてか、ボクは頑張っているあいつを見ていると、なんだか胸がふわあっとして、あったかい気持ちでいっぱいになる。いつまででも見ていられる気がする。お気に入りだから、当然だけど……でも、どうしてこんなに心臓が早く動くんだろう。それが不思議で、たまらない。
 庶民は何か大きな荷物を持って、あちらこちらへ走っていた。そんなの、衣更にやらせておけばいいのに。放り出せないのが、あいつだけど。
 と、庶民の顔がこっちに向いた。どきっとする。ぱちぱちと瞬いたあと、そいつははっきりと、ボクを見た。
 どくん、とまた、心臓が音を立てた。
 こんなに外は寒いのに、寒すぎて奴隷に腹を立てていたのに、なぜか身体中が熱くなってくる。でもボクのそんな不調になんてちっとも気づかず、庶民は――あんずは、嬉しそうにわらった。荷物を抱えなおし、手を振ったかと思うと駆け寄ってくる。桃季くん、とお砂糖菓子みたいにあまく響く声が、ボクの名前を呼んだ。それを。ボクは、それを、たぶん、今日、ずうっと待っていた。こんな寒くて不快なところにとどまってまで。
 あんずの白い手がふわっと伸びて、ボクの両手をそっと取った。とたん、どうしてか、ボクの手があんずのものよりちいさいことが、とんでもなく悔しくなった。だって、あんずの手は、外気にさらされとっても冷たかった。ボクの手がもっと大きかったら、あまさず包んで温めてやれたのに。
「おい、奴隷!」
 きょとん、と彼女はボクを見る。今この瞬間だけは、ボクだけを見ている。そのことに心は急激に浮上した。満足感に笑みをこぼしながら、ボクは命令する。
「おまえの手、冷たい! これじゃあボクが寒くて仕方ないっ。いーい? ボクがよしって言うまでじっとしてろっ!」
 そしてボクは、やわらかい彼女の手を大切に持って、いつか習った魔法をかけた。




「あんスタ転校生受版深夜の真剣一本勝負 お題『御曹司』『初恋』」の際に某所で投げたものです。

桃季さんのテンション難しすぎィ……。