なんでもない幸福






 幸福ってどんなことだい?
 ふと気づくと、薔薇の生い茂る庭園の真ん中、真っ白なレースのクロスが眩しいティーテーブルをはさみ、生徒会長と差し向かいで座っていた。彼は浅葱色のリボンを巻いたシルクハットをかぶり、同色のフロックコートを身につけている。胸元に覗くシャツのフリルが、彼の整った顔を引き立て、より貴族的に見せていた。
 ぱちくり、と瞬く。ここはどこだろう。なんとなく、学校の西側にひっそりとあるガーデンスペースに似ている。ふと自分を振り返れば、やたらとハート模様のついたボリュームのあるドレスを着ている。首元はピエロみたいなラフカラー。手には、赤いハートのトップがついた、魔法少女よりおとなしめのステッキがある。なんだろう、これ。わけがわからず、首をひねる。そこで、ねえ、と呼びかけられる。顔を上げると、会長が組んだ手に顎を乗せて、相変わらずたっぷりと含みのありそうな表情でわたしを見ていた。自然と姿勢が伸びて、じゃっかん、のけぞってしまう。聞いてるかい、と言われ、こくこくうなずく。そう、じゃ、君の考えを聞かせてほしい。そんなふうに促してくる。わたしは困って、眉を寄せた。幸福。幸福、って、どういうこと? 会長は、どんな答えを望んでいるのだろう。彼の望むものを答えればいいというわけではないけれど、方向性がつかめない。それに、このひとは、そんなことを気にするようなひとだっただろうか。黙り込むわたしをおいて、会長は右のひとさしゆびをくるくる回す。するとどこからともなくやってきた茶器が盛大に音を鳴らしつつ、淹れたての香り豊かな紅茶をカップへ注いでいく。どうぞ、と差し出されたので、ひとまずそれに口をつけた。あたたかな優しい苦味がゆっくりと喉を通っていく。体の芯まで温まるよう。ちらりと相手に視線をよこせば、彼はすぐさま気づいてやっぱり底の読めない顔で、にっこり笑う。わたしはあわてて、そっと視線をよそへと逸らした。
 いま、まるで何ものでもないような顔をして、不思議な衣装に身を包んだ彼は、いつもと同じように泰然とはしているけれど、いつも以上に浮世離れして見えた。現実感がひどく足りない。そう、いつもの会長なら、こんなとりとめのない質問を、しただろうか。したかもしれない。最近のこのひとは、はじめて見たときよりも少しだけ気安く、そして少しだけ、ゆるんだ空気を持っていた。つきものが落ちたような、新しい世界を見たような。その世界へ自分もいけるのだと知った青年のような。
 紅茶を飲む。ミルクがほしいな、と少し思った。それからお砂糖も。このままでも美味しいけれど、なんとなく甘い気持ちがほしかった。最後の一滴を飲み干して、わたしはようやく、彼を見る。
 向き合ったそのひとの双眸を、じいっと覗き込む。そうしてやっと彼の眼差しの中に見慣れたきらめきを見つける。どこか面白そうに、興味深げに、試すような、遊ぶような、感情の色。何か企んでいるのではと構え、期待に背くリスクにおののかずにはいられない、見目麗しい外見を裏切る危うい魅力――
「ああ、起きた?」
 頭上から降ってきたやわらかな声音に、はっとひととき、息を止める。どこかおかしげに笑うそのひとの、金の髪がさらりと揺れる。覗き込んでくる微笑みをぼうっと見上げるうちに、ゆっくりと思考が現実へと戻ってくる。ゆめ。わたしは、夢を、見ていたのか。ふと、お腹にあたたかいブランケットがかかっていることに気づく。端をつまみ、とまどいとともに、おそらく持ち主であろうひとを仰ぐと、くすくすと楽しそうな笑みが落ちてきた。こんなところで寝るなんて、緊張感がないねえ、君は。というより、肝が座っているのかな。そんなふうに話しかけてくる。わたしはちょっと恥ずかしくなって、眉尻を下げつつ、ブランケットの礼を言う。そんなものは気にしないでいい、とひらひら手を振られ、さらに情けなくなった。彼はまた笑みをこぼし、君があんまり気持ちよさそうに寝ているものだから、と囁いた。なんだか、惹かれてしまってね。一緒に座ってみたのだけれど。
 そこで言葉が途切れたから、続きを促すように視線を向ける。うん、と彼はゆったりと頷いた。たまには、こういうのもいいのかもしれないと、そんなことを思ったよ。とても穏やかな顔で、彼は言う。なんだか満ち足りた表情だった。そうしてふっとわたしは夢の中の問いの答えを見つけた。そっとそのひとの袖をつかみ、ひそやかにささめく。彼は目を丸くしてわたしを見て、まいったな、というように、珍しくも屈託無く、まるで子供のように笑ったのだった。


(これを幸福とひとは言うのよ)






マッドティーパーティースカウトにうずうずきて、某ぷらいべったさんで書きなぐってたもの。