深海先輩は、今日も噴水で溺れていた。
 ご本人によると、それは水とたわむれているのであって、つまり遊泳しているのであって、溺れているのではないとのことだけれど、見ている方からすれば、水底に声もなく沈んでいくようで不安になる。制服の白いシャツが水に濡れて、おののくほど白い肌がかすかに透けていた。わたしはタオルを持って駆け寄り、雫をはじく特徴的なカラーの髪をていねいに拭いた。痛くないよう、ふわふわと叩く。先輩はくすぐったそうに目を細め、少しだけ身じろいだ。ふふふ、やっぱり、『やさしい』ですね〜、などとつぶやいている。にこにこと嬉しそうに笑うから、怒るに怒れなくなってしまう。もとより口数が少ないわたしは、風邪を引いてしまうからといったようなことを、困ったように口にするばかりだった。
 一通り拭き終えると、噴水に腰掛けた先輩はシャツの袖をくるくるとまくり、ふう、とひと息ついた。穏やかに晴れ渡った空は悩み事もけし飛ぶような蒼穹で、わたしは先輩の隣に座り、なんだかいつになくぼんやりとしてしまった。すると骨ばった大きなてのひらが、やんわりと頭のてっぺんに触れた。瞬きをひとつ、視線を向ければ、深海先輩がひどく優しい顔で微笑んでいる。いいこ、いいこ。独特のイントネーションで、そんなふうに撫でられる。わたしは言葉もなく、されるがままになっていた。このひとのてのひらが大きい、ということが、不思議なほど意外に思えた。そして触れる手の温度が、想像していたよりも冷たかった。これはきっと、ついさきほどまで水浴びをしていたからなのだろうけれども。
 先輩の手は、その腕は、腕に走る血管は、銀の魚の骨のように細くあわい色を成して遠く伸び、やけに彼を繊細めいて見せていた。今にもどこかに消えてしまいそうなほど、現実味のない美しさがあった。それは――たとえば、どこだろう? この噴水の水の向こう側? いつか行った、海の先? このひとはそのうち、まるで何の前触れもなく、そういう遠いところまで行ってしまいそうだった。わたしはそれを、きっといつも、恐れている。だから今、わたしの胸はきゅうっと縮こまって痛みを覚え、自然と彼に向かう視線を剥ぐこともできずにいるのだろう。このつめたい指が、永遠に触れていてくれたならいいのに。そんなことを思ったとき、のんびりと名前を呼ばれた。首をかしげると、先輩はほんのり自信ありげに言った。
「そろそろ、海洋生物部に、入る気になりませんか〜?」
 わたしは呆れた。先輩は続けざま、魚類についてのうんちくや魅力を滔々と語る。のんびりした調子に流されてしまいそうだけど、わたしは今日も首を振る。残念そうにする先輩に色々と理由を告げながら、ふと眼裏に浮かんだ血管の色を思う。銀の骨。このひとの愛してやまない、いきものたち。永遠に、彼の心に寄り添うもの。わたしは自分の血色豊かなてのひらを一瞥し、けれどすぐ、くすぶる羨望を飲み込んだ。




おさかのほね わたしのなりたいものよ










スプーンさまのお題をお借りして。某ぷらいべったーさんで書きなぐってたもの。